Old crop

「ロドスには若い方が多いですね」
 小山状に盛られた暗褐色の粉。その中心に優美な仕草で湯を注ぎながらパッセンジャーが呟いた。
「そう? あんまり年齢を気にしたことはなかったな。種族によって寿命も違うしね」
 湯を吸って茶色く染まり始めた毛織布ネルに視線を向けたドクターが、やや唐突感のある呟きに言を返す。
「ええ、ええ。確かに。仰る通りです。ですが……」
 慎重に言葉を選んでいるのか、それとも目の前の抽出作業に集中しているのかパッセンジャーは口を閉じた。数十秒の蒸らしを終えた後、沈黙を保ったまま再びゆっくりと湯を注ぎ始める。
 自分のためにコーヒーを淹れてくれるオペレーターはロドスに何人もいるが、彼の淹れ方は中でもとびきり手がかかっている。唯一の気晴らしだったと言うだけはあるなと飲む度に思うほどだ。コーヒーが落ちていくのを眺めながらじっと続きの言葉を待つ。ぽたぽたとサーバーに落ちていく液体。どの淹れ方であれ、水に色がついて垂れ落ちる様は何だか実験のようで、ドクターはこの瞬間が好きだった。
 サーバーに液体が満ち始めると、漸く彼は口を開いた。
「……まだ父母の庇護下にあるべきだろう幼子が訓練室に入っているのを見ると、やはり驚いてしまうのですよ」
 ああ、とドクターが苦笑する。何人か思い当たるオペレーターがいた。
「治療も兼ねてうちに居る子も多いからね。まぁ、ちゃんと医療チームと相談の上無理のない範囲でやらせてはいるけど」
「あなた様のやることに間違いはないでしょうとも」
 数回に分けて全て注ぎ終わると、パッセンジャーはドクターに向き直った。自分を通して何処か遠い情景を見ているような、不思議な奥行きのある視線に晒される。
 今、フェイスシールドは外しているが、例え着けていたとしてもこの視線は防げない。初めて出会った時から、この男の独特な雰囲気にドクターは飲まれっぱなしだった。
「若者に囲まれているあなた様を見ていると、時折思うのです。私のような男が傍に侍るのは、芳しくないのではと」
「それはまた、どうして?」
「古い豆から得られるものは少ないのでね」
 執務室内に満ちる芳醇なコーヒーの香り。いつものマグカップではなく、パッセンジャーが用意したカップにコーヒーが注がれていく。
「味も風味も、若いものと比べると落ちます」
「へぇ?」
 少し含みのある言葉にドクターも意味ありげな色を乗せた視線を返す。
「世の中にはエイジングコーヒーなんてものもあるんだろ。それには古い豆が使われるそうじゃないか」
「おや、よくご存じで」
「私は熟成されたものからしか得られない、深みとか味わいも好きだよ」
 パッセンジャーの手からカップを受け取る瞬間、神経質そうなその指にほんのちょっとだけ触れてやる。彼から注がれる視線にすこし、熱が乗った。だからだろうか、唇に触れた液体もいつもより熱く感じる。
「あなた様はコーヒーよりも紅茶がお好みだったと聞きましたが」
「昔はね。そうだったらしい。今はどちらかと言えばコーヒーの方が好きだな」
 目も覚めるし、と付け足すとパッセンジャーは小首を傾けて笑んだ。長い髪がさらり、と肩を流れていく。朝焼けに見られる、太陽に近い雲のような、温かみのある色合い。
 だが、彼の笑みはその温かさとは一致しない。穏やかに笑んでいるはずなのに、感情があまりのっていないのだ。そしてそのアンバランスさは奇妙な魅力を放つ。
「あなた様は、どんなはぐれものであっても肯定し、受け入れて下さるのですね」
「大袈裟だなあ。私には誰かを否定できるほど、中身がないだけだよ」
「中身がない、ですか。ふ……なるほど。それで、お味はいかがです」
「今日も美味しいよ」
「いつも芸のないシンプルなブラックばかりで飽きませんか」
「君はとても丁寧に淹れてくれるからね。これに何か混ぜるのは逆に失礼かなって」
「あなた様が望むなら、乳と砂糖を混ぜたとびきり甘いものも御用意出来ますよ」
 うーん、とドクターはカップを傾けた。すっきりとした苦味と酸味。鼻から抜ける馨しい香りを堪能したあと、ソーサーに戻す。
「じゃあ、今度は古い豆で淹れてくれる?」
 味わってみたいんだ、とドクターがくるりとカップを回す。中のコーヒーが微かに波立った。
「……喜んで。私はあなた様のものですから」


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