take a bath=make love

 ——ちゃぷん。
 髪からつたった雫が湯に落ちて波紋を作る。ドクターはそれをぼんやりと見つめた。こんなにゆっくりと入浴したのは一体いつぶりだろう。ただでさえ少ない記憶の中をさらってみるが、思い当たるものはなかった。
 そもそもゆったりと体を伸ばせるほどの浴槽はロドスの個室についていない。大浴場には大きな浴槽が用意されているが、ドクターはオペレーターや職員たちの福利厚生施設と割り切って、あまり近づかないようにしていた。うっかり上司とかち合い、入浴することになったら折角のリラックスタイムが台無しだろうと考えていたからだ。
 だから他人と風呂に浸かる、という状況は今この時が初めてだった。そう、ドクターは今、龍門の高級ホテルの浴室にいる。細かく言うなら浴槽の中だ。それも背後から大きなフェリーンに抱えられる形で。
 なぜドクターがロドスから離れ、こんなところに居るのか。それはドクターの背後、浴槽の へり から垂らした長い尾を機嫌よさそうにゆらゆらとさせている男に拉致されたからだ。拉致、と表現すると彼、エンシオディス・シルバーアッシュはその怜悧な眉を不服そうに上げるかもしれないが。
 エンシオディスの計らいで「特別な金曜」を過ごしたドクターは、引き続き優雅な高飛び生活を過ごしていた。しっかりと栄養をとり、数時間の仮眠を経て言葉通り更なる「高み」に飛ばされた翌日。なかなかチェックアウトをせずなんなら軽い仕事を始めたエンシオディスの様子にドクターは驚いた。聞けば、ここを出るのは日曜の午後だと言う。二泊三日の高飛び計画。確かにこれは普段できないことだ。律儀に「プレミアムフライデー」の要項を守る彼には全く頭が下がる。
 とにかくエンシオディスはこの滞在中、ドクターにのんびりと過ごしてもらいたいと考えていたらしく、特にホテルの外へと連れ出すことはしなかった。ドクターがすることはしっかりと滋養にいいものを食べ、ソファに横になりながらエンシオディスの蔵書が詰まった端末を眺めたり、大きなテレビで流行りの映画を観てみたり、エンシオディスの好みだという音楽を聴きながらうつらうつらしたり、それくらい。きっと今のドクターをケルシーが見たら「怠惰」と表現するだろう。自分を送り出してくれた秘書のエリジウムや、エンシアが見たら「優雅~」と表現するかもしれない。それくらいこのホテル生活は普段の生活とはかけ離れている。だが、恋人の心遣いは有難かったし、もうなるようになるしかないと腹をくくったのもあってドクターはこの怠惰で優雅な生活を享受していた。
 ゆったりと過ごしていると時間の流れが遅く感じられる。ドクターはエンシオディスから風呂に誘われるまで、日が落ちていることに気付かなかったほどだった。そして今に至る。断る理由もないので了承したものの、いざ一緒に浸かってみるとなんとも気恥ずかしい。
 ふんわりと花の香りが鼻腔を擽る。恥ずかしさを誤魔化すために、ドクターはおもむろに湯を両手ですくい上げた。色も白く濁っているし、何か入っているのだろう。くん、と手の中の湯に鼻を近付けて嗅ぐが何の匂いなのかは分からなかった。
「匂いをつけないほうが良かったか?」
 ドクターの行動を眺めていたエンシオディスが問いかける。ドクターがふるり、と否定の意で頭をゆらすとまた波紋がいくつか散った。
「強すぎなくて、いい香りだ。何の匂いかは分からないけど」
 言い終わらないうちに、エンシオディスが鼻先をドクターの項に押し付ける。唐突な触れ合いにぴくん、と体が揺れた。
「カモミール、ローズマリー、ローズウッド……他にも混ざっていそうだがメインはこんなところだな」
「ええ……君そんな特技もあるのか」
「イェラグはスパイスやハーブが身近な国だからな。香りにはうるさいぞ私は」
「今君が言ったものそれぞれに効能が?」
 そうだな、とエンシオディスが頷く。
「古くは薬としても使われてきたものだが、香りだけで考えるなら、やはり気持ちを落ち着かせる効果が分かりやすいだろう」
「確かに。すごくリラックス出来る匂いだ」
 これもきっとエンシオディスの心遣いなのだろう。彼が用意したのか、ホテルが用意したのかは定かではないが、とにかく休養のフルコースを取らせる気だ。
「君もこの匂い好き?」
 香りにはうるさい、と言っていたがこの入浴剤は彼の鼻を満足させているのだろうか。気になってドクターは問うた。もう一度、ぐっと鼻が押し付けられる。続けて、すぅ、と深く吸い込む音。少し、くすぐったい。
「ああ」
 じわりと、まるで湯が入ってきたように耳孔に低音が染み込んだ。
「お前の体から香っているからか、特に心が落ち着く気がするな」
「何だそれ」
「出来れば常に持ち歩きたいものだ」
 ぶは、っとドクターは思わず噴き出した。
「そういえばイェラグの土産屋でも、香り袋だっけ? 見かけた気がする」
「どうだ? 私専属の香り袋にならないか」
「時給弾んでくれる?」
「言い値で構わん」
 確かに、この匂いはリラックス効果が高いらしい。これほど、軽妙に冗談を発するエンシオディスはなかなかに珍しかった。
 暫く香りを堪能していたエンシオディスが、ふと、べろり、と項を舐める。なんとなく予感していた刺激だったが、ドクターは小さな声を漏らした。まるで匂いだけでなく味も確かめるようにざらざらの舌が何度か、首筋を往復する。体の端々に熱が回り始める。多分、湯のせいではない。その証拠に、彼も硬い熱を押し付けてきている。
「ぅ……エ、ンシオ……」
「ん?」
「あ、あついん、だけど」
「湯はだいぶ冷めてきているが」
 濁り湯の中にエンシオディスの手が沈む。悪戯な手は、見えないのをいいことにドクターの胸を狙った。
「ぁうっ、ん、ちょっ……」
びりっとした刺激に思わず声が出る。こりこりと乳首を苛めながら、エンシオディスはドクターの耳をしゃぶり、喉をぐるぐると鳴らしている。ここで致す気満々だとドクターは察した。
「ベッ、ドでいいじゃないか」
「折角広い浴槽なのだから使わなければ損だろう。それに……」
 耳たぶを嬲っていた舌が離れて行く。代わりに唇が寄せられた。
「普段、出来ないことをするのではなかったか?」
 艶やかな囁きを吹き込まれドクターはごきゅっと喉を鳴らした。それが、合図だった。







 指が動くたび湯が、中に入る。温くなっていても体は初めての感触をしっかりと感じとった。
密室では小さな吐息もよく響く。ぱしゃん、という水音とそれに続く艶やかな声。興奮を表すエンシオディスの低い唸りも、よく、聞こえた。
 湯の中でぐいっと双丘を割り開かれた気がしてドクターは無意識に両脚の力を抜く。もう、充分だった。そして同時に限界だった。浴槽の中で、膝立ちのままドクターは熱い息を漏らしながらその時を待った。
 ぬるま湯と共に熱い切先が侵入してきて、緩く息を吐く。もう、すっかり彼と繫がることに慣れてしまった。まさか石棺から目覚めたときは、自分が誰かと体を重ねるとは思っていなかった。石のように硬く強張り、枝のように細い自分の体。こんな男を誰が腕に抱きたいと思うだろう。
 だが、そんな体を辛抱強く、壊さないよう丁寧に、時に大胆に拓いたのが、エンシオディスだった。今ではすっかり、どこもかしこもやわくほぐれている。背後から貫かれながらドクターは律動の激しさに負けないよう、 へり に手をかけた。
——ぱしゃん。ぱしゃん。
 湯がかき混ぜられるたびに、ふわりと香るハーブ。この芳香のせいか、いつもよりも体に力が入らない。だが、それは彼と思う存分深く繋がれるということだった。
「あ゛っ、ぅ、ぐっ……んッ……」
 体の力が抜けているせいか、それとも昨夜の名残りのお陰か、いつもよりも早くエンシオディスの先端はドクターの最奥を捕らえていた。ぐりっ、ぐりっと確かめるように押し付けられる熱い肉。そのたびに、ドクターは声を上げた。反響する自分の喘ぎに恥ずかしさを覚える暇もない。一番弱いところを押し潰された後、ずんっ、と奥まで貫かれ肉の環を抉られる。びりびりとした快楽が脳を焼いた。
「ぅあ、ふか……いぃ……」
「っ……、ふ、いつもよりも、中が熱いな」
「ん゛、ア゛ッ……はっ、ぁ……きみ、も……」
 熱いよ、そう、喘ぎ交じりに返すと律動が激しくなった。
「ひぃっ、あ゛っ、アッ♡ あぅ……」
 ナカを捏ねられ、擦られ、合間に胸元を弄られる。水気を含んでじっとりと重たくなった尻尾が足に巻き付いた。ぴったりとくっつきながら必死に互いの体温を交換する。
 お互いを求める動きがどんどん早くなっていく。一番熱いものが注がれる瞬間はもうすぐだ。
「えんし、お、なか、あっため、て」
「……ああ」
 低い声にぞわりと背が震える。そして、反射的に内壁も動いてしまう。より、大きな波が何度も浴槽の中で起こった。
 ——とぷん。
 水音が反響して音の出所はもはや分からない。散った飛沫の正体も。
「ぁ゛————っ」
 だが絶頂に引き上げられたということは、熱が自分の中に注がれたということだった。ひくん、ひくんと余韻に体を震わせながらドクターは、スン……と小さく鼻を鳴らした。鼻腔に広がる芳香が快楽で真っ白になった脳に染み渡っていく。香りは、記憶と結びつく。風呂での行為を了承するんじゃなかった。そう後悔しながらドクターは目を閉じた。



 その後もぬるい湯の中でたっぷりと睦み合っていた二人だったが、ドクターの「寒い」の一言で風呂の湯を張り直すことにした。入浴剤は一回分だったらしく、透明な熱い湯の中でドクターはぶくぶくと抗議の泡を出した。
「折角あの匂い、お気に入りになりそうだったのに……」
「何か問題でも?」
 ドクターはむっとして、エンシオディスの濡れ髪を引っ張った。
「これからは嗅ぐたび思い出しちゃうだろ!」
「私は変わらずリラックス効果を得られそうだが」
 再度抗議の意を表明すべくドクターは再び口元を湯の中に沈めた。
「今度あの香り再現した香り袋を送ってやろう」
 その贈り物の意図を察したドクターは、優しいが意地の悪い恋人に大きな泡ぶくでもって拒否の返事をしたのだった。

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