Of course, yes!

 日に透けるプラチナブロンド、淡い空色の瞳、隙のない整った顔立ち。いつも着ている服ではなく、上から下まで白一色の装いに身を包んだ彼はまさに天上から降りてきた使いのようだった。
 思わずポエミーに表現してしまうほど、新郎服を纏ったイグゼキュターは完成された造形物で、ドクターはそのあまりの眩しさに慌ててフェイスシールドを装着する羽目になった。何か間に挟んでおかないととてもじゃないが直視できない。それほど衝撃的な画だった。
 仕上げに慣れた手つきで白い手袋を装着した彼が、準備完了とばかりにドクターの眼前に立つ。服以外はいつも通りの彼に賛辞の言葉を送るため、ドクターが口を開いた。
「め、めちゃくちゃ似合ってるね」
「ありがとうございます」
 脳内ではあれだけ誉めちぎっていたのに、口から出た言葉は凡庸を叩いて伸ばして乾かしたような薄っぺらいものだった。他人からの評価を気にしない男なのでそのぺらぺらの賛辞に何か突っ込みが飛んでくることは勿論ない。特に尾を引かず会話は終わった。
 イグゼキュターとの会話はいつもこんな感じだが、ある程度「親しく」なってからというもの、彼の感情や気持ちは言葉だけではかるものではないことをドクターは理解した。羽の動きは彼の感情を雄弁に伝えてくれるし、表情だってよく見ればちゃんと変化がある。存外、彼は分かりやすい男だとドクターは認識しているが周囲の反応は相変わらずだ。でもそれでいい。イグゼキュターのことを理解わかっているのは私だけでいいじゃないか、というのが最近の自論である。
「……じゃあ行こうか。花嫁さんを待たせちゃ悪いからね」
 冗談として呟いた言葉が思いのほか自分の心を軋ませたが、気が付かないふりをしてドクターは「花婿」とともに執務室を後にしたのだった。



 何故イグゼキュターがこんな格好をしているのかというと、話は一週間前に遡る。
ロドスでは日々の活動資金を様々な任務を遂行することで稼いでいるが、時折舞い込んでくる他企業からの仕事も大事な資金源の一つだ。
 民間企業からの依頼は多岐にわたり、ロドスの武力をあてにしているものもあれば、製薬会社としての仕事―本来ならこちらがメインのはずなのだがーも少なからずある。
 とあるブライダル用品店の広報がロドスに依頼した案件もどちらかといえば後者に該当するものだった。
「ロドスの甲板をロケ地としてお借りしたい」
 コーヒーの香りが充満する応接室。仕立てのよいパンツスーツに身を包んだエラフィアの女性が、赤フレームの眼鏡を押し上げながらそう口にした。
 聞けば船上ウェディングがブライダル業界における最近のトレンドで、来季のカタログもそのシチュエーション設定で撮影をすることにしたらしい。色々なクルーザーや客船を見に行ったが、ロドスの甲板が広さも雰囲気もうってつけなのだという。
 船上、という言葉に反応したアーミヤが確認の響きを伴って声を発した。
「船上らしさはあっても、海上の雰囲気は出ないと思いますが……」
「あぁ大丈夫です。その辺は合成やら加工やらしますから」
 見慣れたロドスの甲板がリゾート地の船上に加工された画を思い浮かべて、ドクターがシールドの下でこっそり笑った。
 謝礼は弾むとのことだったので、ドクターは一も二もなく即決。アーミヤも快諾したので話はとんとん拍子に進んでいき、ロドス側の準備が出来次第撮影に入ることとなった。
 話し合いの最中、広報とともに同席していたデザイナーの視線が自分の後ろ、つまり背後に控えているイグゼキュターにがっちりと固定されている事にドクターは気が付いた。
 見られている本人はというと、全く気にしていないようすで静止している。彼の見目の良さが女性を惹きつけることは多々あることだ。何か問題が起きたら上司パワーで解決しようと、ドクターは視線を広報担当へと戻した。
大筋がまとまり、簡単な契約書を取り交わす段階になったその時、今まで沈黙を守っていたデザイナーが突然、派手なルージュの目立つ口を開いた。
「そこに居るサンクタの彼を、花婿役のモデルとして借りたいのだけど」
 脳内で自分の作品を着せているのだろう。新作のイメージにぴったりだ、彼以外考えられないとうっとりとした顔つきで熱弁をふるっている。
 なるほど見つめていたのはそれが理由だったかとドクターは納得した。自分の世界に入り始めたデザイナーの横で広報がうんうんと頷いている。こちらも頬が少し赤かった。
ちらりと横を見るとアーミヤの視線はドクターに一任します、と語っている。となると、後は本人に聞くしかない。
 ドクターは後ろで微動だにしないイグゼキュターを仰ぎ見た。
「公証人役場的にはそういうのOKなの?」
 ぱち、と視線が絡み合う。数度の瞬きを経て、イグゼキュターがよく通る声を応接室に響かせた。
「今回はロドス管轄の任務ですから。ドクターの命令とあらば私は従います」
 そう答えたイグゼキュターの言葉をyesととらえた広報とデザイナーが手を叩いて喜んだ。報酬も三倍支払うという彼女たちに今度はドクターが手を叩いて喜ぼうとしたが、アーミヤが控えめな手つきで制した。



「ごめんね。モデルなんてやらせることになって」
 執務室に戻って来たドクターは、契約書のコピーをイグゼキュターに手渡しながら謝罪した。秘書として同席させなければおそらくこんなことにはならなかっただろう。女性の多い業界なのだから上司として少し気を使ってあげればよかったのかもしれない。三倍の報酬に目が眩んでしまった負い目もある。
 後悔と反省から出た言葉だったがイグゼキュターは受け取った書類をファイリングしながら常と変わらない声音で答えた。
「任務に関係することなら私に異論はありません」
「うん、まぁ任務といえば任務なんだけど」
 はは、と苦笑しながらマグカップにコーヒーを注ぐ。香ばしい匂いが鼻を擽った。
「モデルの情報は一切載せないって条件だからそこは安心してほしいというか」
「問題ありません。貴方が喜ぶなら」
 報酬三倍と聞き、手を叩いて喜びかけたところをしっかりと見ていたのだろう。急に恥ずかしくなってドクターはごまかすようにコーヒーを啜った。

 そういう経緯で今、イグゼキュターは「花婿」としてロドスの甲板に立っている。
 花婿役のモデルはイグゼキュターだけではない。だが、本職の男たちに混じってカメラマンの説明を聞いている彼は風貌だけで見るならプロ顔負けだった。
 撮影の邪魔にならないよう機材の後ろ、甲板のすみっこに陣取ったドクターは日差しを浴びてキラキラと輝く金糸を眺めていた。
「かーっこいいよなー」
 そんな言葉が思わず口から飛び出てしまう程、カメラの前に立つイグゼキュターはきまっていた。本人は指定された通りに立っているだけだろうが、特段緊張もしてないせいか無駄のないポージングが意外にハマっていて自然に見える。
 横で機材のチェックをしている撮影スタッフに「あのひときわ輝いてる花婿役、私の恋人なんですよ」と自慢してやりたい。理性がゼロだったら甲板を走り回りながら実行していただろう。
 ポージングは完璧だが表情の変わらない花婿を暫く眺めていると、花嫁役のフェリーンがヴェールをなびかせながら近付いてきた。
 どうやら二人セットでの撮影に入るようだ。カメラマンの指示通りイグゼキュターの手がモデルの細い腰にまわされる。二人が自然に寄り添った瞬間、チリっとした痛みがドクターの胸を襲った。
 かっこいい恋人をこのまま見ていたい気持ちと、撮影とはいえ恋人が誰かと密着する姿を見たくないという気持ちが戦う。数秒の攻防を経て、勝利のゴングを鳴らしたのは後者だった。
 ドクターは二人から視線を引きはがすと、機材を足でまたぎながら艦内に通じる扉へ向かった。特に問題もなさそうだし、自分が見ていなくても大丈夫だろう。他のロドス職員も同席しているし。そう心の中で理由付けしながらドクターは逃げるようにその場を去った。



 しんと静まり返った執務室。自分のテリトリーに戻ったからか、どっと疲れが襲ってきてドクターは勢いよくソファに倒れ込んだ。たわんだフェイスシールドが頬にあたるがとる気力はない。そもそも今の顔を誰にも見られたくなかった。
 脳内にこびり付いた先ほどの光景にぎゅっと目をつぶる。
 ただの撮影だ。そもそもその仕事をふったのは自分なのだからショックを受けるのはおかしいということも分かっている。では何が自分の心に引っかき傷を作っているのだろう。
「……結婚かぁ」
 結婚。世の恋人たちが最終的に行きつく、互いの関係をひとつ上に昇格させる儀式。
 自分とイグゼキュターも「恋人」だから勿論その選択肢は手元にある。お互いがお互いだけのものになる、というのは正直憧れるがイグゼキュターは、どうなのだろう。擬似的に花婿の真似事をして、自分とのことを少しでも想像しただろうか? それとも障害の多い自分と結婚するなんて考え自体、はなから頭にないだろうか。最終的にはあんな風に可愛らしい花嫁と添い遂げたいと密かに思っていたら?
 ドクターはネガティブな考えに沈んでいく頭をぶんぶんと左右に振った。
「考えてたら落ち込んできた……」
「何を考えていたんですか」
「うわっ」
 背後からかけられた声にドクターの心臓がぽんと跳ねた。恐る恐る起き上がり振り返ると、扉の前にはイグゼキュターが立っていた。まだ花婿姿のままだ。少しだけ髪が乱れているのは甲板の風を受けたからだろうか。
「えっ、あれ、撮影、終わったの?」
「はい。ドクターが戻られた後五枚ほど撮って私の番は終わりました」
「あっ、えっ、ごめん」
 出ていくとこ見てたのか……とドクターはバツの悪そうな声を出した。こっそりと出て行ったつもりだったが、彼の眼はごまかせなかったらしい。
 近付いてきたイグゼキュターがドクターの顔に手をやる。少したわんでズレていたフェイスシールドを外されると直に視線が交わった。脳内まで確認されてしまいそうなアイスブルーの瞳を真正面から受け止める。
「質問の答えをお願いします、ドクター」
 あらわになったドクターの頬をイグゼキュターが手の甲でするりと撫であげる。白い上質な生地からドクターは無意識に目を背けた。
「ええっと……その、今回の撮影見てたら結婚のことを連想しちゃって。それでちょっと色々考えてたらなんか、勝手に落ち込んだ」
「奇遇ですね。私も撮影中、少し落胆していました」
「えっ? な、なんで?」
 君が落胆!? とドクターが驚きに目を見張る。はい、と頷きながらイグゼキュターはドクターの横に腰を下ろした。

「どうせなら撮影相手は同じ花婿役が良かったなと。ドクターはドレスを着ないでしょうから。花嫁では練習になりません」
「えっ練習……って何の?」
「ドクターとの結婚式の練習ですが」
 さも当然とばかりに発された言葉にドクターの思考が一旦停止する。
「け、っこんするの? 私たち」
「今すぐは無理かと思いますが、いずれは」
 そうよどみなく返されてドクターはぽかんと口を開けた。
「ドクターが嫌なら籍を入れるだけでも構いません。ですが、私個人としては正式な方法に則り、あなたが私のものだと明らかにしたいと思っています」
 想像を遥かに超える熱烈な言葉に、ドクターの頬にじわじわと赤味が差していく。
「い、までもちゃんと私は君のものだろ……」
「いえ。まだあなたは「みんなのドクター」ですよ。結婚すれば、名実共に私だけのドクターと言えます」
 まっすぐな言葉がすとんとドクターの心に落ちた。
 どうやらイグゼキュターも、彼なりに思うところがあったらしい。自分の頬がふわりと緩むのを感じる。
「どうでしょう。近い未来、私だけのドクターになって頂けますか?」
 じわ、と自分の目尻に熱を感じてドクターは慌てて目の前の白に頭を押し付けた。あぁ、服が濡れちゃうな。そんなことを思いながらドクターはイグゼキュターの胸元で何度も頭を縦に振って言った。

「なるよ、もちろん!」


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