秘書の仕事

「エリア内に敵対戦闘員並びに敵対生物の存在は認められません。掃討完了です」
 その報告にドクターはふーっと深く息を吐いた。端末を叩いて戦闘結果を保存すると、通信チャンネルを開く。
「みんなお疲れさま。いつも通りそれぞれ担当の医療チームの所へいって体調の報告を。戻ったらしっかり休んで次に備えてくれ」
「了解!」
「ドクターもお疲れ様!」
「早く帰って寝たい~~」
 ぱらぱらと耳にオペレーターたちの元気な声が飛び込んできて、緊張で強張っていたドクターの頬を緩ませた。医療チームからの最終報告を聞くまで安心は出来ないが、今のところ戦闘で誰かが重症を負ったという話は聞いていない。
 つまり今日の作戦は成功だ。最後の最後で少し、手こずりはしたが。
防衛線を掻い潜って自陣に飛び込んでこようとした戦闘員。思わぬジャンプ力を見せて眼前に迫った敵に驚いてドクターは尻もちをついた。控えていたグラベルによって敵はすんでのところで処理されたので、右足を痛めるだけで済んだが未だに心臓は驚きでトクトクと脈打っている。いい加減慣れなければという思いもあるが、命の危険に慣れる練習などなかなか出来るはずもない。
『昔』のドクターならきっとこんな時もっと上手く立ち回るのだろう。だが、脳に空きが目立つ自分には荷が重かった。今の自分に出来るのは経験したことをデータにまとめて復習し、次に生かすことくらいだ。だから戦闘が終わってもやらなければいけない事が山ほどある。
「帰ったらまず、戦闘記録の見直しをして、シミュレーションに今日の敵情報と地形情報の入力……それから戦略パターンの洗い出し、狙撃チームの立ち位置に問題があったみたいだからそこを重点的に……」
 端末片手にぶつぶつと呟いていたドクターの肩を勢いよく誰かが叩いた。驚いて振り返るとそこには特徴的な通信機材を抱えた長身のリーベリが居た。
「エリジウムか……」
「エリジウムか、じゃないよドクター! もうみんな飛行装置に乗り込んでるのに、何やってるのさ」
 えっ、と周りを見渡すと確かに、先ほどまでそこかしこに散っていたオペレーターたちの姿は付近に見当たらなかった。
「いつも言ってるでしょ。ロドスに帰るまでが作戦だって。掃討が完了してるからって油断は禁物だよ」
 小言ともに飲用水の入ったボトルを手渡される。
「どうせロドスを出てからろくに飲んでないんでしょ。もう今度から僕が出撃する前に無理矢理飲ませようか」
「はは、そこまでしなくても」
「何度言ってもこまめに水分補給しない君が悪いんだよ。また倒れたいの?」
 うっ、とドクターがフェイスシールドの下で呻いた。あまりいいとは言えない記憶が脳を過って慌ててボトルのふたを開ける。力の弱いドクター向けに開けやすくしてあるそれは中にストローが仕込まれていた。フェイスシールドをつけたまま飲めるようにというエリジウムの心遣いだ。シールドの下部をずらして隙間からストローを口に差し入れ、水分を体内に取り込む。
 体の隅々に水が染み渡っていくような感覚に襲われてドクターは小さく息をついた。
「美味しいでしょ」
「うん」
「飲んだら移動するよ。もう僕たち以外は乗り込んでるはずだから。あ、でも大丈夫安心して。飛行装置の席はちゃあんと窓側を確保済さ」
 エリジウムが通信員として有能なのは周知の事実だが、実は秘書としても彼は有能だ。そしてそれはロドス内の業務にとどまらない。戦場でも先鋒部隊としての役割を終えたあと真っ先にドクターの元へ戻りフォローに従事する。
 助手の経験があると自負するだけはあり、ドクターの身の回りの世話から、情報整理、各所への連絡も彼はお得意の会話力で柔軟にこなす。通信員ゆえに人の言葉とその奥に透けて見える心の動きに敏感なのだろう。沈黙を金とするオペレーターたちにエリジウムの『会話術』の評判が芳しくないのは事実だが、彼の観察眼からくる細やかな気遣いを評価しているものも多い。そして勿論ドクターも彼を評価していた。
 離陸準備の整った飛行装置に近付くたびに、エリジウムの青い旗が風でゆらめく。不規則に動くそれを眺めながらドクターは必死に足を動かした。後もう少しだ。捻った右足がじくじくと痛むが、歩けないほどではない。そもそも飛び込んできた敵兵に驚いて尻もちをつき負傷、という情けない事実をオペレーターたちに知られるほうがよっぽどつらい。
 そんなことを思いながらもようやく、タラップに足を乗せるところまできた。あともう少し頑張れば乗り込める。
 よし、とドクターが気合を入れ直したところでふわっと脇から腕が回った。微かな浮遊感に驚いたドクターがエリジウムを見上げる。彼はにこにこと陽気な笑みを浮かべたまま、ドクターの体をほんの少し地面から足が浮く程度小脇に抱え、そのままタラップをのぼり機内に入った。エリジウムの一連の動作は限りなく自然だったので、ドクターが彼の力を借りて移動していたことに気付くものは居なかった。
 すとん、と窓側の席に下ろされて、手早くシートベルトを装着される。その手際の良さにドクターが呆けていると耳に口を寄せて彼が囁いた。
「降りる時は声かけてね」
 暗に、その時も移動を手伝う、と言われているのだと理解して頷く。ドクターの負傷に彼はしっかり気付いていて、そして大事にしたくないドクターの気持ちを察した上でさりげなく介助をしてくれたのだ。離れていこうとするエリジウムの袖をドクターが掴んだ。まもなく離陸する飛行装置の中は色々な騒音で溢れていたので、強く引っ張って彼の耳の傍に口を近付ける。
「エリジウム! いつも! ありがとう!」
 一語ずつ区切って声を張り上げながらそう伝えるとエリジウムは一瞬きょとんとした表情を浮かべたあと、破顔した。
「大したことはしてないよ!」
 謙遜ではなく本心からの言葉なのだろう。人好きのする笑みを浮かべてそう答える彼にドクターもシールドの下で笑ってから密かに決意した。
 ロドスに戻ったら彼の履歴に『百年にひとりのイケメン』と書き足してやろうと。

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